「バットマンリターンズ」の思い出


その仮面舞踏会には、ゴッサムシティにその名を刻むであろう紳士淑女の多くが顔を隠して参加していた。名士トーマス・ウェインの息子、ブルース・ウェインもその一人だった。

しかし、彼の顔にはあるべきはずの「仮面」が存在しない。周りの人間も、まるで彼の素顔には興味なぞないかのように、平然として面持ちでダンスに勤しんでいる。まるで一人だけ別世界の住人かのように戸惑っているブルース。そこへ、一人の女性が近づいてきた。彼女はセリーナ・カイル。二人には共通した秘密があった。お互いに仮面を被り、夜の街を飛び回るという秘密が。

だが、今この場で二人は仮面をつけてはいない。白日のものとに晒しているであろう普段の顔こそが、彼らにとって「仮面」であったのだ。その事実に気付きながらも、二人は惹かれあってゆく。

「バットマン リターンズ」について思い出そうとすると、いつも決まってこのシーンが頭をよぎります。この作品の話題が上がったのは先日、友人間で「ダークナイト」におけるバットマンの信念と不殺についての議論に一つの終止符が打たれた時のことでした。ティム・バートン監督による「バットマン」の内容に大変満足した友人は続けて、傑作と名高い「リターンズ」の鑑賞を希望。話は大いに盛り上がりました。

この作品を端的に表すと、「狂気」そのものだったと思えます。前作「バットマン」の成功を持ってワーナーの信頼を得たバートン監督は、より自由な権限を持って続編の製作に着手しました。こうして完成した続編は、前作以上に監督の趣味とメタファーが折り重なった内容に仕上がっており、映像面からしても雰囲気のそれはゴシックホラーに近いものと言えるでしょう。恐怖を象徴とするある種の幻想を持ったヒーローの戦いの場としては、彼の作風にはあってたのかもしれません。

そんな幻想に包まれた街、ゴッサムを狙う新たな敵はまさにバートン監督の暗黒面が具現化したかのような怪物でした。名はペンギン(本名オズワルド・コブルポッド。最近では「バットマン アースワン」での市長姿が記憶に新しいですね)。この怪人は奇形ゆえに自分を捨てた両親を探すために政治家を利用し、市民からの信頼を獲得し、瞬く間に街の人気者へと変身してゆく知能犯です。この行動には必ず裏があると睨んだバットマンは、一人バットモービルを街に走らせ、彼を徹底的にマークしていきます。結果として、怪人ペンギンの目論見は明るみにされ、ゴッサムを襲っていたであろう未曾有の危機は再び阻止されました。しかし、「正義」を行うバットマンの姿は不思議と「悪役」に映ります。それは、ペンギンがバットマンの明確な対比的存在として描かれてる故です。

バートン監督の映画の根底には、幸せへの憧れと破壊が詰まっています。一作目のバットマンは狂気を含んではいるものの、まだまだ一般的な正義のヒーローを域を脱していなかったように思えます。が、今作「リターンズ」における彼は、明らかに掴めない「幸せ」への幻想に渇望し、「バットマン」という行いを通して理性を保とうとする狂人として描写されてきました。その心が、ペンギンという怪物の行動を妨害し、セリーナ=キャットウーマンとのラブロマンスに走らせたのです。つまり、今作におけるペンギンとは、悪を心に抱く純粋なヴィランであると同時に、バットマンが手に入れることのできない憧れを掴んだ存在として描かれているのです。また、そういった負の感情を抱くあまり、素顔であるはずの「ブルース・ウェイン」が仮面になっていたことに気づくのです。

主人公とそれを取り巻くヴィランの関係性を持って彼の心の闇を暴いていった本作は、バットマン史のみならず、その後のアメコミ映画の方向性をある種決定づけた作品として高い評価を得ました。しかし、その影響に引きずられ、続くバットマン映画が外れたのは周知の事実。「不殺主義」のバットマン像がブれ、ヒーローの心の闇を掘り下げていく作品が続々と量産されていく時代の中で、まさしく生まれるべくして誕生した作品であったと言えましょう。そんな過去の記憶を掘り起こした、深夜一時の出来事でありました。

それではみなさま、さようなら、さようなら、さようなら…。