どうやら僕には主体的な意見がないらしい…


       「自分」の意見を持たない

要約する形になりましたが、こういった趣旨の内容を言われました。いわく、他人の意見ばかりにコロコロ振り回されている僕には意見など存在せず、こんな感想を発信する資格はないそうです。はいそうですか、勝手に言っててください…。

なんて簡単に引き下がればよいのですが、これには流石にムカッときましたね。こういった挑発的な発言にいちいち反応するのは我ながら子供っぽいと思いますし、無駄なことではあるのですが、自分を否定されたに近い内容に、意見とアイデンティティを持つ人間としてどうしても許せないもの(と、このトラブル自体を記事のネタにできるというゲスい話題性)を感じ、今回取り上げることにしました。

さて、その内容を掘り下げていくと、僕が「主体性のない」と言われた所以がいくつか見えて着ました。そこには、ウルトラマンの存在があります。このブログを結構前から見てきた方ならご存知のように、僕はウルトラマンオーブの感想を記事やツイッターでの呟きとして発信してきました。終了当初、一定の満足を得た僕は総評を発信しました。しかし、何度かネタにあげてるように、僕は今作に登場したライバルキャラ、ジャグラーの存在意義に懐疑的な見解を持っており、その趣旨は総評記事でも変わることはありません。どうやら、ツイッター上での一方的な発言を眼にし、そのような呟きに及んだのだと受け取れます。二つ目に仮面ライダー。これに関しては確かに僕の側の過失はあります。と言うのも、当初の僕はかなり暴走気味活(古参気取りの)困った信者的な発言が多く、多々迷惑をかけたこともありました。しかし、幾人かの人間との意見交換によって、自分の見識の過ちに気づき、そういった発言を撤回した過去を持ちます。「発言した」と言う事実は変えることができません。ですが、いつまでも一方的な事実に目をむけ、中傷を繰り返すのは如何な物でしょうか?

そして最後に、「主体的な意見をもたない」と言うことですが、これは完全にあやまりですね。当たり前のことですが、僕にも主体的な意見は存在します。例えばアメコミに関してですが、もう何度も何度もブログやツイッターにて発言しているように、僕はバットマンが好きです。さらに、数多くある映画版でいうならば、僕はクリストファー・ノーラン監督の撮ったバットマンが好きです。一般的な映画好きやアメコミファンの声を聞くと、作品のテーマや全体の雰囲気からしてティム・バートン版のバットマンを支持する声をよく耳にします。しかし、それではなぜ僕がノーラン版のファンであると言うと、僕がバットマンに求めているものは、彼の掲げるヒーロー像と理想であり、全体を包む雰囲気とは、あくまでもそれを補完するための舞台装置に過ぎないと定義しているからです。つまり、原作におけるイメージも重要でありますが、その作品におけるテーマに重きを置いた作風を重視するほうがより僕の好みに合うということなのです。同様のことがスパイダーマンにも言えます。長くなるのでココでは説明を省きますが、こういった個人の主張を持っているからこそ、どちらが好きで何に惹かれているのかを認識できるのだと思います。ココに来て、先の発言が如何に一方的なものである、強く実感することができますね。

まあこんな議論を展開するまでもなく、そもそもの点に置いて自分の好みを構成する意見がなければ、好きなものなどありませんし、嫌いなものも存在しません。そういったレベルの会話をしていたのだと思うと、なんだか虚しくなりますね…。長く文を書いてきましたが、結局のところここで僕が証明したいことは、「自分にも意見はあるぞ」ということ。この程度のことで向きになり過ぎたと、少々反省すべき点はありますが、こういったことが許容できない界隈とは、なんとも狭く息苦しいものなのだと感じましたね。これはしばらく距離を置くことを選択して正解だったかもしれません。皆様も、「お前には主張がない」と言われ、ショックを受けたとき、胸に手を当ててもう一度考えて見ましょう。おそらく、誰にも揺るがすことのできない心情がいくつか浮かび上がってくるはずです。ちなみに、ココ最近で形成した新しい心情が僕にはあります。それは、「ライダーやウルトラ界隈で下手な発言をすると死ぬ」と言うこと。こういうと敵を増やしてしまうかもしれませんが、ここ数週間の動向を見ているとあながち間違ってもないような気もしてきました。やはり、肥大化しすぎたコンテンツは、どこかで歯止めを利かせるべきなのでしょう…。過激と言う自覚があるのなら、ぜひ自重してもらいたいものです。