キューブリックの「フルメタルジャケット」を見ました

2017年08月12日

キューブリック作品というと皆様は何を思い浮かべますか?僕は真っ先に思い浮かべるとしたら「2001年宇宙の旅」ですね。キューブリック特有の抽象的な表現難解なストーリーとそこに秘められた意図、そして絶えず人類への問いかけと思われるテーマを吹っかけてくるこの作品は後世のあらゆる作品に影響を与えた歴史的な名作であります。特にSFを扱った作品においてこれを影響を受けてない作品は殆どないといって過言ではないでしょう。また、キューブリックといえば「時計じかけのオレンジ」や「シャイニング」などを思い浮かべる方も多いかと思います。両作品も、上記の「宇宙の~」と同様映画史に衝撃を与えた名作として現在でも有名であり、数多くの支持者を生むに至りました。さて、そんなキューブリックが次に挑んだ題材は「ベトナム戦争」。この「フルメタル・ジャケット」はまさにその時代を舞台にした作品あります。映画オタクを名乗る以上、この作品を見ないわけには行かない…。加えて自身の経験値を高めるためにも、僕はさっそくレンタルショップにへと走りました。

で、問題の本作は主人公たちの訓練生時代と実際に戦争に参加した二つの時期に別れて描かれております。この雰囲気は大きく異なる物の、内包されたテーマは共通しており、二つの異なる視点でそれが語られていることに気づきます。それは早くも序盤から明らかになってきます。ココには某動画サイトなどで有名な鬼教官「ハートマン軍曹」が登場します。この人物、実際に元教官の退役軍人が演じており、凄まじい罵声と体罰、そして卑猥で下品な言葉を並びたてて主人公たちを徹底的にしごいていきます。これが単なる「精神鍛錬の厳しい訓練」ではなく、人格を破壊することで訓練生たちを殺人マシーンへと仕立て上げる行いであるとわかります。やがて連帯感を持ち始めた訓練生たちは、要領の悪い一人の男を苛め始めます。その男を通称「微笑みデブ」と言い、ネットなどで名前を耳にしたことがある人も多いでしょう。彼は虐めと体罰を繰り返し体験していくことで、次第に精神に異常を来たし、兵士としての能力の上昇と引き換えに人間らしい感情と表情が欠落していきます。ココに来て、実は序盤の真の主人公にして今作のテーマの狂言回しは彼であると言うことにわれわれは気づき始めます。つまり、感情の欠落により狂った人間の作成過程を見せることで、一見ベトナム戦争を取り上げた作品に見せつつ、その実態は殺人マシーンかした人間の恐怖と、圧倒的な暴力の無慈悲さ、そして虚しさを描いたものであるとココで主張しているのだと感じられましたね。

このテーマ性はいよいよ始まるベトナム編でも変わることなく、相変わらず前半と後半の雰囲気の落差は凄まじいものとなっています。まず、一応の主人公である新人兵士ジョーカーは情報班に所属していることもあって、戦闘場面はあまり描かれない傾向にあります。しかし、取材をかねた査察がその状況を一変させ、後半はまさに憎しみや恐怖を超えた狂気が包み込む地獄を舞台に、彼や彼を含む戦友が人間として欠落していくさまを淡々と描いていきます。ゆえに、この作品は微笑みデブやベトナム戦争を一種のメタファーとして機能させることで、戦争その物の否定と人の醜さを両立して書いてるのだとわかりますね。そうでありながら、この愚かな行いを止めるに止められないという歴史が証明するジレンマをも内包している凄まじい作品であることにここで気づきます。

こういった描写は、いくつかの解説書では「滑稽な演出」と書いています。確かに「時計じかけ~」などでも、特有の滑稽な表現は遺憾なく発揮し、その抽象的な演出が逆に主人公の残忍性や単純な快楽を求める行動原理への理由を強める結果となりました。よって、ここでの「滑稽な演出」とは決して悪い意味ではなく、これほどまでに日ごろから抱くジレンマを表したものはないと言う意味となります。これほどまでに真理をついた作品はそうはないでしょう。わざわざ不都合な真実を見せられたくはないですからね。しかし、これは見ておく必要のある作品だと、僕は強く感じました。なぜなら、こういった作品を通して結局人間とは何か?という真実について考える機会が生まれるからです。こういった思案をめぐらせることで、ジレンマを抱えつつも決して犯してはならない聖域が存在することをはじめて認識でくるからであります。そういった「思考の場」として、また貴重な体験の場として本作はあり続けているのではないかと思ってならないのです。