ダークマンとかいう隠れた名作ヒーロー映画

2017年06月14日

アイデンティティの崩壊を秀逸に語ったヒーロー

新たなアメコミブームの火付け役となったスパイダーマンを制作したサム・ライミ監督。その彼が1990年に制作、監督したのが本作「ダークマン」であります。元から目を付けていただけに中身がとっても気になっていた作品でありますが、果たしてその内容はヒーローを語る上では中々に興味深いテーマを匂わせる物となっていました。

【あらすじ】

人工皮膚の研究をしていた科学者ペイトンは、恋人である弁護士ジュリーの仕事を手伝っていたところ、殺し屋に襲われて全身に重度の火傷を負う。

病院に収容されて一命を取り留めたものの変わり果てた姿になったペイトンは、火傷による苦痛を遮断するための治療で視床下部の神経を切断されてしまう。

それによって痛覚がなくなり超人的な力を得たペイトンは、病院を脱走後自ら開発した人工皮膚(ただし、99分間しか持たない)を利用して誰にでも化けられる超人・ダークマンとなり、殺し屋たちへの復讐を開始する。

(ウィキペディアからの引用)

【感想】

本作のテーマは上にも述べたようにアイデンティティの崩壊にあります。主人公のペイトンは序盤に襲撃を受け、大火傷負ってしまいます。これはヒーロー物にもよく見られる展開ですが、負ってしまった傷が癒えることはないんですね。ゆえに彼は自己を形成する大切な部分である「顔」を失ってしまいます。その後、ペイトンは自分から自分を奪った者たちに復讐するために持ち前の技術を活かして相手に変装して各各を襲撃するのですが、ここで彼は、自らの存在が分からなくなってしまうんですね。人間、どんな孤独に苛まれても自分を証明するものが存在してる限り、真の意味で自らを見失うことはないんですね。しかし、ペイトンの場合はそのもっとも重要なものを失ってしまいます。よって彼は、だんだんと自分が理解できなくなり、達成感も何もない空虚な感情に包まれてしまいます。ここら辺の感情の揺れ動きは初期の仮面ライダーっぽかったです。

さらにこの空虚な感情は彼を怪物へと変えていきます。中盤以降の彼は復讐に容赦というものが無くなり、どんどん過激な行動へと移っていきます。また、普段での行動もあれ、感情の抑制が効かなくなってしまいます。ペイトン自身もそういった変化していく自分に気づいてはおり、言葉にも出しているのですが、もはや本当の自分を見失ってしまった彼にはその術が考え付かないという状況が続いてしまいます。これはあらゆるヒーローに言えることだと考えています。ヒーローは実際に被る被らないにかかわらず、心の中はマスクで武装しています。これは大なり小なり自身の感情を押し込んでいるためです。彼の場合はその武装が他人の「顔」なんですね。しかし、顔のない彼はこの「仮面」の影響をダイレクトに受けることで、ますます自己の損失を加速させてしまうんですね。

最終的に、彼はそんな自分を受け入れ、「誰でも」あって「誰でも」ないヒーロー、ダークマンとして生きていくことを決意するのですが、ここまでの感情の揺れ動きがすさまじく丹念に描かれており、初見の方でも簡単にその骨格を理解できる構成には、唸る部分が多々ありました。この「感情の揺れ動き」や「存在の損失」は古典的特撮ヒーローのそれに近いものがあるといえますが、そもそもその前提となる自分を無くしてしまうという点は一種の斬新を感じました。ちょっと物悲しいラストも、ペイトンの強い信念を感じるからこそであり、決して暗いだけに終始してないのが個人的にはポイントに思えました。

ただ欲を言えば、ヒーロー映画の醍醐味であるアクション要素が乏しかった点がマイナスですね。全体的なドラマは前述のように質の高いものとなってはいるのですが、それにアクションが伴っていないんですね。確かに、「ダークマン」の名に恥じぬ独特な戦いっぷりを見せてはくれるのですが、ヒロイズムを感じるには今一歩足りないといった印象。そして、細かな演出も多少気配りが足りなかったように思えます。もっとも気になったのが分かりにく場面転換。わりと飛ぶんですよ、場面が。これさえクリアできていれば傑作といわずとも隠れた名作レベルの作品には仕上がっていたでしょう。まあサム・ライミ的に言えば、ここでのノウハウがあったからこそスパイダーマンというアメコミ史に、いや映画史にその名を残す傑作を残せたわけであり、今作も彼の歴史を知る上での貴重な資料となるのは間違いないでしょう。これはぜひ、多くの方に見てもらいたいですね。以上、ダークマンの感想でした!

ではみなさん、さよなら、さよなら、さよなら…。