ブギーマンとかいう凡作以下のホラー映画

2017年05月22日

怖くない(断言)

一時機、「ブギーマン」というフリーホラーが流行ったことは記憶に新しいと思います。ゲームをみれば分かるとおり、ブギーマンとはアメリカの迷信であり、日本でいうところのなまはげに当たります。今回は、そんな子供のころの恐怖の象徴であったブギーマンの伝承を映像化した本作、「ブギーマン」(そのまんまである)を紹介していこうと思います。

【あらすじ】

ティムは仕事もプライベートも順調な一見普通の青年だが、あるトラウマを抱えていた。

それは彼が8歳の時のある夜、父親が自室のクローゼットから現れた影のような化け物・ブギーマンに襲われ、行方不明となったというものだった。

それ以来、ティムはいつかブギーマンが今度は自分を連れ去りにやってくるのではないかと脅えながら生きてきた。

ある日、彼に母メアリーの死の報せが届き、ティムは久々に帰郷する事になった。

母の葬儀を済ませたティムは、トラウマの原因となった生家のクローゼットに久々に足を踏み入れるが、そこで怪現象に遭遇する。

さらに恋人のジェシカまでもが行方不明となり、ティムは自分と同じようにブギーマンが存在することを知る不思議な少女フラニーや、幼なじみのケイトの協力を得てブギーマンと対峙する。

(ウィキペディアからの引用)

【感想】

上述したように、本作は子供時代に誰もが感じた恐怖の象徴を映像化したものであり、制作はJホラーのファンとしても名高いサム・ライミであります。なるほど確かに氏の大好物であるジャパニーズホラー的な描写が随所に散見され、観てる側に飽きのないスリルを提供してくれます。

たとえば冒頭。ここでは視聴者の視点を主人公を通して子供時代のものに回帰させることで、暗闇や夜に対して感じた‘よくわからない怖さ’を思い出させてくれます。こうすることで、観てる側と主役サイドの動きをクロスさせ、その後の恐怖演出やトラウマに対して効果的な映像描写を加えることに成功しています。しかし、この神秘的かつ不可思議な雰囲気は前半で消え失せます。

この独特な緊張感が続いてのはせいぜい中盤までで、後半にかけて徐々にその要素は鳴りを潜めていきます。後に続くのは、典型的なアメリカンホラーのそれであり、ちょっとやそっとのことで予想がついてしまう展開がひたすら続き、最終的にホラー映画にとってなくてはならないホラー要素が消え失せてしまいます…。この緊張感の消失はブギーマンの不気味さを演出するために意図したものと考えることもできるでしょう。しかし、今作のスタッフはこの演出に関して大きなミスを犯しています。それはブギーマンに明確なビジュアルを与えてしまっていること。これが、本作から恐怖の要素が抜け落ちてしまった一番の要因であり、最大の問題点であります。たしかに、「見せる」作品である以上そのキャラクターの姿かたちというのは必要になってくるでしょう。ですがこの場合は、写し出せれた姿があんまりにも陳腐かつ唐突すぎるものであり、瞬間的に感じる恐怖も人外を見たという不気味さも何も感じません。これに対する理解がなかったのだろうと思わざるを得ませんね。

また、問題となってくるのはビジュアル面だけでなく、物語にもあります。後半で主人公は事の真相を知る謎の少女と出会い、ブギーマンの撃退についてのやり取りを行うのですが、この方法というのが「恐怖を克服する」というもの。…エルム街の悪夢かな?(笑)。この典型的過ぎて面白みに欠ける方法に加えて、キャラの扱いもドンドンどんどん雑になってきます。あらすじにも登場してる恋人も描写はあるものの、結局どうなったかは分かたずじまい、唐突すぎる終わり方は打ち切り番組を彷彿させるものとなってます。ここにきて完全に怖さが消え失せ、映画としての面白みも消失して舞うのです。つまり、怖くないんです(副題の伏線回収)。

制作が有名な人だから、有名な都市伝説を下地においてるから、と言って勧められるような作品ではありませんでした。せいぜいホラー完全初心者向けの内容ですね。それ以上んのものではありません。全体評としては、星五つのうちの…1.5。ほんっと、残念な内容でした。

では、また……。