古典的名作SF「禁断の惑星」 感想

2017年07月12日

古典的名作という言葉があります。言うまでもなく過去に制作され、現在までに続く何かしらの作風のパイオニアに冠されること多い名匠であり、SFにおいてもしばしその「古典」と呼ばれる作品は多く存在します。1956年に製作された本作「禁断の惑星」もそんな古典的名作に数えられる作品であり、外宇宙の惑星に調査に向かった宇宙船乗組員たちの物語というオーソドックスなスタイルを取りながら、人間の欲望と理性の狭間というテーマを見事に落とし込んだ傑作として現在でも語り継がれています。さて、そんな名作に洋泉社の出版している「突撃!モンスター映画100」という何やら怪しいタイトルの本を通して出会った僕は、その内容に興味を惹かれ、さっそく蔦屋に一人走っていくことになりました。

あらすじ

地球から遠く離れた惑星、アルテラへと調査に向かったアダムス機長を初めてとする調査団は、そこで20年前に行方をくらました調査団の生き残り、モービス博士とその娘アルティアに出会う。長きに渡る航海によって欲求不満に陥ってた若き船員たちはアルティアの美しさに目を奪われるも、惑星に残された先史文明滅亡の謎に首を傾げる日々を過ごす。やがて、調査団を全滅へと追い込んだ見えない化物、「イドの怪物」に襲撃された船団は一人、また一人と犠牲者を出していくのであった…。

【感想】

出だしでも述べたように、今作に内包されたテーマとはズバリ人間の理性と本能であります。それを示唆する描写は序盤からふんだんに取り込まれおり、何気ない日常会話にも欲求を表すであろう単語が見え隠れしており、早くから意図を汲んでもらうための工夫がなされるといえます。その描写はヒロインのアルティアが登場してからさらに加速し、露骨と捉えられるほど彼女を魅力的に、もといエロく写すようなカットが連続します。カメラワークや立ち位置等も、男性が性的な目で見るに最適なポジションを選んでようにしか思えない場面がけっこうな数ありますね(事実、見てる僕もかなり興奮しました…)。さあこんなサービスシーンが連続して続くんだから乗組員たちのアレも大変(ビンビン)なことになってるわけで、ココぞとばかりにウブなアルティアを大して卓抜してるとはいえないテクニックで口説き落とそうとします。ですがここから事態は急変、アルティアに向かって邪な感情を抱いた人間が見えない怪物に次々と殺されていきます。そしてここで物語はもう一つテーマである「文明の行く末」と理性にシフトしていきます。

物語のカギを握る古代の超文明クレール。地球人のそれを遥かに上回る知性と感情を兼ね揃えた彼らは、しかし何一日にして潰えてしまいます。彼らが最後に手を付けた技術が「感情の具現化」。神にも等しい理性を手に入れた彼らはこの技術の誕生に歓喜するも、内に眠る原始的な本能が具現化の大部分を支配し、自滅の道を歩んだという衝撃的事実が明かされます。この具現化された感情こそが船団員たちを襲撃した怪物の正体であり、高度化した文明であっても欲望は感情に支配することができないことを示唆する存在として物語に介入してきます。

しかしその締めくくりは、作中唯一の良心であるロボット「ロビー」の存在もあって、よくある文明賛歌人間賛歌な展開で終わりを迎えてしまうものとなっています。コレは人間がクレールと同じ過ちを繰り返さないであろう、という比喩なのでしょう。ここで注目スべきことは物語の動向ではなく古代文明の末路にあります。物語にとって真に重要なのはクレールの過ちなのです。上述のように彼らは人間とは比較にならないほどの知性を会得しました。それでもなお理性を制御するには至らず、自らの滅ぼす結果に陥りました。つまりこれから学ぶ教訓とは、科学マンセーな社会への風刺であり、人間はそんなに高度な存在ではないという無意識への警告なのです。

この理性と感情への教訓を残した物語の遺伝子は、現在でも着々と受け継がれています。いつの日もこの類の作品が一定の支持を受けるのは、それを自覚しているフシがあるからでしょう。人間の本質に対して秀逸なメッセージ残した作品が後世へと語り継がれるというのは、いつの日も変わりないんですね。