宇宙戦艦ヤマトの栄光と失敗


総監督 西崎義展

「宇宙戦艦ヤマト」。それは70年代のSFアニメブーム巻き起こした日本アニメ史上に残る名作であり、現在のアニメブームの礎を作り上げた作品であります。もはや名を知らない人の方が少ない本作。しかしその実態は、刻まれた栄光以上の失敗に包まれており、しばしのそこでの問題点は現在でもサブカル界全体にまかり通る欠点との一致していたりします。今回は、そんな栄光と失敗にまみれた宇宙戦艦ヤマトの歴史を、順を追って紹介していこうと思います。

 

【ヤマトの夜明け】

時に、西暦1974。一つの作品が産声を上げました。太平洋戦争で沈んだ日本帝国軍の超弩級戦艦大和が復活し、地球の未来を背負って遥か彼方のアンドロメダ星雲にある惑星イスカンダルまでの旅時に出るというとんでもない話は、当時(設定面のみで)人気を博していた松本零士という漫画家と、(割とエゴイストな)西崎義展というプロデューサーによって作り上げられたのです。…と、書けばカッコよく聞こえますが、ここらへんめんどくさい問題を孕んでるんですよ。この二人、どっちも正確に難ありで、後でヤマトの原作権を巡って激しく争ったんですね。つまり、ヤマトはイスカンダルに行く以前からすでに波乱の人生を歩んでおり。この問題は後々まで響くことになりました(ブサイクがハーレムを形成しない分、西崎分が多いような気もしますが…?)。

【宇宙戦艦ヤマト】

時に、西暦2199年。地球は滅亡の危機に瀕していた。宇宙から現れた侵略者ガミラス帝国は冥王星軌道から射出した遊星爆弾を用い、地球を放射能で汚染していった。地球防衛軍はこれに応戦するも、ガミラスとの圧倒的技術差の前に完全敗北を繰り返し、地球の滅亡まであと一年というところまで追いつめられてしまった。しかし、そんなとき救世主が現れる。遥か遠い宇宙に存在する惑星イスカンダルから届けられたメッセージには、放射能を完全に浄化し、地球を復活させるコスモクリーナーDが存在しているというのだ。窮地に立たされた人類はこのメッセージを頼りに、14万8000光年という長い旅路へ出ることを決意する。最新鋭の波動エンジンを搭載し改修された過去の遺産、戦艦大和は「宇宙戦艦ヤマト」と名を変え、人類の明日のために今旅立つのであった。

記念すべき第一作(にして、最強のがばがば作品)。戦争のために生まれ、死んでいった戦艦が今度は全人類の未来を背負って宇宙へ旅立つというのはものすごいカタルシスを感じさせるものですが、その旅路は(内容的には番組的にも)決して楽なものではありませんでした。いくら波動エンジンを搭載した最新機とはいえ、まだまだ技術に差があることは確か。数回間隔で現れるガミラスの新兵器には苦戦を強いる場面も少なくありませんでした。しかし、そういった危機を機転を利かせることで乗り越えるのが今作の見どころであり、SF作品に疎かった(であろう)当時の感覚から見て、こういった展開の数々がヤマトを「リアルな作品」と言わしめた原因であるといえます。また、本作の他の見どころとしてはヤマトの無敵っぷりと、めんどくさい複雑な人間関係にあります。まず前者ですが、これは当時らしいガバガバ感の象徴と言える物で、ヤマトを無敵と言わしめた要因であります。では後者の人物関係はどうでしょうか?これは、初見のインパクトが強いということありますが、地球の命運を背負った若者たちの苦悩や成長を描いた群青劇としては上手く演出できています。若干の粗が目立ったりもします(とくに主人公の古代とヒロインの森雪。はっきり言うと描写不足)ありますが、それぞれが故郷を思う戦士たちの決意と覚悟は、敵味方ともに真しなやかに描かれているといえるでしょう。放送短縮の煽りもあって、終盤の展開はかなりの駆け足となっていますが、それでも展開としては十分に納得の行くものとなっており、その大円道から素直な感動を得られたのだと思えましたね。

【さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち】

ガミラスの侵略を退け、見事にその美しい姿を取り戻した地球は再び繁栄の境地に達していた。だが、平和は長くは続かなかった…。ある日、宇宙から謎のメッセージが届く。その内容が救援であると考えた古代進は、腐りきった防衛軍の目を盗み退艦済みのヤマトにかつての仲間たちとともに乗り込み、再び宇宙へ旅に出る。苦闘の末、発信源であるテレザード星へとたどり着いた彼らを待っていたのは、ガミラスをはるかに上回る最強の敵、白色彗星帝国であった…。

♪デ~デ~デ~~デ~デ~デ~デ~♪ ♪デ~デ~デ~~デ~デ~デ~デ~♪
序盤からこのパイプオルガンの伴奏が強烈な印象を残す本作は、製作当時(ガチで)ヤマトの完結編として企画されており、最後の展開もそれを意図したうえでの、ある意味では実にヤマトらしいものとなっています。人間ドラマも、前作のそれをさらにブラッシュアップしたものであり、多少の粗が目立つものの、その苦悩や決断もはるかに自然な流れに見えます。さて、そんな本作で物議をかましているのが先に挙げた終盤です。なんと本作は、最後の最後でヤマトが完全なる敗退を迎えます。それも逆転の余地を与えないほどの完璧なレベルで。おいおいどうするんだよ…、という声を上げてしまうでしょう。しかしここで、主人公の古代は驚くべき行動に出ます。なんと、ヤマトで敵の戦艦に突っ込むのです!!この描写が視聴者の涙を呼び寄せるとともに、PTAとかいう自称有益な害悪集団まで呼び寄せてしまいました。いわく「これは特攻美化」なのだそうです。…そうなのでしょうか?僕はそう思いませんでした。確かに、最後の古代と幽霊となった幻の沖田艦長との対話では「命こそが、邪悪な悪を打倒す最後の武器だ」という説明が入っていますし、受け取り方によっては特攻を示してるように思えます。しかしこの直後、古代は命の尊さを高らかに語り始めます。最後まで立ち向かうという意志の強さ、その記憶を次の世代に継がせていくことが明日の世界へと繋がっていくという平和への思い、そして、どんな困難な状況でも生きていくという思い…。いかがでしょうか?ここから導き出される答えは「戦争の否定」だと僕は考えてます。この手法は「仮面ライダー龍騎」で取られたものと通じてるように思えます。あの作品でも、全力でライダー同士の戦いを描き、その虚しさや悲しみを余すことなく表現したからこそ、「戦いの否定」という答えにたどり着けたのだと考えています。つまり、一度きりの反則技だったからこそ、演出できたテーマだったのだと捉えることができます。それを妥協せずに、映画にメッセージとして込めたからこそ、本作は歴史に名を残す名作として現在でも記憶に刻まれているのだと思えました。

…さて、「ヤマト」という壮大なサーガを解説する、という趣旨からはだいぶ脱線したパートとなってしまいました(笑)しかし、いずれはまとめようと思っていたテーマであったし、こういった場を借りて自分の意見を発信できたのは良かったと思えます。上述したように、一つのシリーズの締めくくりとしても大変良質な作品に仕上がっています。アニメの歴史を追いかけようと考えてる方は、一度は目を通してみてもよいと思えますね。

【宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち】

  熾烈を極めた白色彗星帝国との戦いから1か月後、ヤマトと別れたデスラー率いるガミラス残存艦隊が、新天地を探す旅に発つ前に今は無人となった母星ガミラスに最後の別れのために立ち寄ったところ、謎の勢力である暗黒星団帝国が地下物質ガミラシウムを無断で採掘していた。これに激怒したデスラーが交戦した結果、ガミラス星は大爆発を起こして消滅する。それにより、連星を構成しているイスカンダルは引力バランスを崩して宇宙空間を漂流し始める。デスラーは愛するスターシャ(←ここ重要)のいるイスカンダルをただちに追跡するが、暗黒星団帝国のデーダー率いる第一艦隊も、イスカンダリウムを目的としてイスカンダルを追撃していた。

(めんどいのでウィキペディアから引用)

ヤマトの命運を(悪い方向に)分けた戦犯的作品。前作で味を占めたのか、やたら重要人物が死に始めるのも今作からだったりします。さて、あらすじを見ていただければわかる通り、本作はデスラー総統が実質的な主役です(←ここ重要)。第一作では敵、二作目では故郷を亡くした宇宙の放浪者としてヤマトの前に立ちはだかった彼が、初めて強く掘り下げられた作品でもあります。しかしその境遇は、露骨なまでに感動をゴリ押ししたかのような描写のための人柱となったといえるようなものしかなく、ハッキリ言うとみるに堪えない作品であります。しまいには、衆人環視のもと、スターシャのへの愛を告白し、見事に(心が)爆死。スターシャもその直後イスカンダルと運命を共にします。スタッフはデスラーが嫌いなんですかね?せいぜい褒められるのは序盤の新ヤマトクルー参入の場面だけでしょう。こういった必要以上にキャラを苛める展開やあざとい感動描写、雑なテーマ性が目立ってきました。まさに、宇宙戦艦ヤマトは転落に向けた新たなる旅立ちを始めたのでありました…。

【ヤマトよ永遠に】

西暦2202年。暗黒星団帝国の兵器重核子爆弾が地球へと飛来。さらに、続々と押し寄せてきた敵の大戦力の前に、地球防衛軍は敗北し、地球は瞬く間に制圧される。暗黒星団帝国は、爆弾によって人類の脳細胞を一挙に死滅させることが出来ると脅し、ヤマトの在処を示せと要求する。

(ウィキからの引用)

本来ならば、完結編として製作されたという経緯を持つ作品。ゆえに、タイトルに宇宙戦艦と付いてなかったり、雰囲気がどこか終末感を感じさせるようになってるものその名残に思われます。敵の侵略も狡猾で、ヤマトと地球、どちらのタイミングがずれても救出に失敗してしまうという緊張感を孕んだものとなっています。で、ここまで書けば名作と言えるポテンシャルを誇っている作品に思えますが、前作に引き続きまたまたやらかしたんですよ。そう、今作でもまたキャラが死にます。高度に発達しすぎた文明の末路や、松本作品全体に通ずる人間の命の力を賛美したお話は十分評価できるものとなっているのですが、その分露骨なキャラ殺しが目立ってしまい、駄作まで行かなくとも凡作以下と言わざるを得ない結果となってしまいました。本作を見れば、名作になりえた作品で何をしてはけないのか?という点が明確となるでしょう。クリエーターを志す方なら、反面教師として見てみるのも良いかもしれません。

【宇宙戦艦ヤマト 完結編】

突如、銀河系に別星系の銀河がワープしてきた。多くの惑星はパニックに見舞われ、デスラーによって再建された新たなガミラス、「ガルマン・ガミラス」も宇宙の藻屑と化した。地球から派遣されたヤマトはこの混乱の中、文面のある惑星の救助に駆けつけるも、このワープに便乗して現れたルガール帝国の襲撃に合う。かろうじで地球への帰還に成功してヤマトであったが、地球に過去最大の脅威が迫ってることを知らされる。数多の星に命を与えてきた水惑星「アクエリアス」の出現である。このアクエリアス接近による大洪水を防ぐべく、復活した沖田艦長を乗せ再び大宇宙へと旅立つ…。

出た!ご都合主義の極致!!一応完結編として製作された本作は、その名に恥じぬスケールと展開を迎えながらも、今一歩納得のいかない作品に仕上がってしまった感が強いです。まあその最もたる要因は十中八九沖田艦長の存在なんですけどね。無印ヤマトで劇的な死を迎えた艦長。担当医佐渡先生の診断は、確かに医者としてはあるまじき行いに見えたかもしれませんが、二人の関係と、そこに至るんでに描かれた艦長にとっての魂のあり方がその描写への説得力を与えたといえました。そういった感動案件を「わしの誤診でな」という言葉ですべてぶち壊した本作は結局沖田を殺すことでヤマトそのものに終止符を打つというこれまた何とも言えない最期を迎えてしまいました…。少々感情論が過ぎましたね、反省。さて、それ抜きで考えれば、本作は「愛の戦士たち」以来屈指の出来を誇る作品といえます。上にもあげましたがまずそのスケール。正直、これには圧巻しました。地球に命を与えた星が試練を与えに再び現れるというスパルタにも程がある展開は、自らの力で地球の再建や多種族との相互理解、共存を描いてきた本作のラストを飾るにふさわしいものに思えます。地球から宇宙へと飛躍していった物語は、再び地球へ戻ってくるのです。

また、これまでの作品で培ってきたデスラーとの関係も余すことなく強調されてきます。本作の敵は「力こそすべて」という思想の下、邪魔なものはたとえ身内であっても切り捨てるというトンデモ思想の持ち主で、(状況が状況といえ)ヤマトをあと一歩のところまで追いつめます。そのとき、デスラーが駆け付けるのです。この状況は、ある意味「愛の戦士たち」の白色彗星戦に似ていたといえます。しかし、今回は状況が違い。悲劇的な出会いを果たしてしまった二つの星の人間が、互いを理解し、共通の目的を見出したことでこの奇跡が生まれたのです。まさに、集大成にふさわしい。この積み重ねによるガミラスと地球の協力は、この映画屈指の名シーンとして印象強く残っています。この困難と試練を乗り越え迎えた最後のシーンは正真正銘泣ける場面として劇中で生きており、まさに明日を掴み取った新しい世代の戦士たちをたたえる映像として光っているといえます(ちなみにこのシーン、テレビ版三作目で死んだキャラたちがなぜかいます)。これだけの大団円を迎えながらも、沖田の復活が尾を引いて乗り切れないという欠点が見えてしまっています。確かにシリーズ最大級のカタルシスとヒロイズムを考慮すれば、ある程度許せてしまうしまうほどの魅力はないとは言えないでしょう。それでも、ご都合による復活をとってしまった展開には多少なりとも不快感を覚えてしまうという結果となってしまいました。しかし、締めくくりとしてここまで完璧な終わりを迎えた作品もそうはないでしょう…。これこそ、一時代を築き上げた作品の輝かしい終わりとして、いつまでも記憶に刻まれていてほしい作品であります。

【宇宙戦艦ヤマト 復活編】

雪とは距離を置き、娘からは愛想つかされた古代はすっかり腑抜け中年として惰性な日々を過ごしていた。そんな中、再び地球に危機が迫る。ひそかに改修されたヤマトの艦長に任命された古代は、若き戦士たちとともに大宇宙への後悔航海に出る。

究極の駄作!そして蛇足!プロデューサーのオナヌー!はっきり言って話したくもない作品です。これに関しては本当にほんっとうに語る魅力がありません。まずキャラ。こんな古代見たかないんだよ!!なんだよこの中年!娘に愛想つかされた?雪とはまったくうまくいってない?いくら年数がたってるとはいえ、これほどまでに旧作の設定を顧みないくそ設定をぶっこんだ話はあったでしょうか?僕はヤマトに冷え切った夫婦関係に悩む糞つまらん大人のドラマ(笑)なんて求めてないんですよ。ほかのキャラもひどい。アニメとはいえ擁護できないレベルの倫理観崩壊ガイジキャラしか登場せず、感情移入もへったくれもありません。そしてストーリー。意志を持つブラックホールが地球に迫るという、ヤマトらしい緊迫感に溢れたものですが最悪なのはその展開。まず地球を捨てる!why??そして移住先の星の人を煽る!もう僕の頭では処理できません…。これだけでも十分ゴミなのですが、製作者はこの出来に満足してるのか、これに追い打ちをかけるかのように名シーンをそのまんま持ってきたかのようなカタルシスの欠片もないシーンがラストで連続して登場します。ここからは「ほら泣けよ?感動するだろ?」とかいう製作者の安直な考えが見え隠れしています。ゆえに、今作は見る価値ありません。断言します。

 

【まとめ】

テレビシリーズ一作と映画五本を通してヤマトの歴史をまとめてきました。いや~、こう考えるとすさまじいですね、ヤマトは。良作もあれど、同じくらい駄作が溢れてるという現状には、時代を感じると同時に、製作のエゴも少なからず感じます。これに振り回された結果が、「新たなる」以降の失敗であり、負の歴史であるんですね。人気シリーズといえど、引き時は弁えるべきなのです。これは人気シリーズを終了させずに続編を作り続けるアニメ、漫画界の現状にも通じてますね。わかってるかい少年ジャンプ君?