強迫観念からくる作品の過剰鑑賞は良い影響を与えない


何かを作り出す人間となるには、ジャンルを問わず大量の作品をその知識経験値として実に収めなければならない…。創作を志す方なら一度は考えたことのあるに思えます。かくいう僕も常日頃そんな思いにふけていたりします。この行為と動機は、単純な知識量の会得と言う観点からすると、大切なことでしょう。ですが、過ぎた行動は無理な行いに変化し、その無理は必ずしも経験に直結するとは限りません。

これは自分も実際に体験したことなのですが、他人が多くの作品を見て、暗示をかけるような形で多くの作品を一気に鑑賞しようという行いはあまりよくありません。確かに、見た数はプラスされていきますが、その根底にあるものが純粋な興味や娯楽とは遠く離れた「焦り」から生まれた感情であった場合、自らの糧にはなり辛いでしょう。

こういった話題を出すのも同様の問題を抱えている人がネット内に非常に多いように思えるからです。そういった方々への教訓やアドバイスのような物として本記事を送る、と言うわけでは何のですが、一つの考え方の例として受け取ってもらえれば幸い思えます。

さて、冒頭でも書いたように、多くの作品を見て、自らに見識を増やすという行為を意味のある時間にするに最も必要なものは、やはり「楽しむこと」にあります。友人に勧めてもらった作品だから楽しむ、直感で面白そうに思えたから楽しむ、ものすごく人気だから楽しみ…等々こんな感じで、根底に据えた物が経験のほかに楽しむことであったら糧として吸収しやすいでしょう。この中にもし「焦り」や「遠慮」などの気持ちがあったなら、少しなら問題ありませんが大部分を占めている場合は「苦行」に近い形で何かを見る子トンあるでしょう。そうなったら問題であります。まあ、この経験から学べることはゼロか?と言われればそうでもなく、一つの勉強にはなりえますが連続的な行為としては向かないでしょう。ゆえに、肩の力を軽くして、新たな作品に望むということが求められてくるのです。

また、映像作品の大量視聴に関してですが、何も必ず大量の作品を見る必要はありません。現在放送中、あるいは放映中の作品ならいざ知らず、大半の「見ようと思った」作品は、過去に何らかの形で流されたものでありレンタルされている可能性が高いです。よって、自分のスケジュールにあった見方をしていけばよいと思います。

こういった、自分のペースを見つけ、そこからさらに有効な時間の使い方を見つけることで学べることは何倍にも増えていきます。加えて、溜め込んだものをアウトプットする場も必要となって来るでしょう。そこで生きてくるのが、SNSです。ツイッターにしろフェイスブックにしろ、それは個人の経験や出来事を自由に話す場。当然、映画や小説の感想等を呟くのも自由であります。まあこの際細かな形態は問いません。必要なのは見て吐き出すことなのです。インからアウトの流れを確立することができれば一番理想的ですね。

こう書いてしまうと、繰り返しとなりますが、焦ってしまう方が出てきてしまうかもしれません。しかし、そこは我慢。ゆっくりと溜め込んでいく勇気を持ちましょう。これに楽しさと余裕を持つことができたとき、非常に良い習慣を確立した人として、充実度が増して行く事でしょう。

一応の注意書きと言いますか、中盤でも書いたようにこれはあくまでも一例に過ぎません。人の見方や楽しみ方、そして焦り方も千差万別。まったく違う方向で焦りを感じてしまう人も時には存在するでしょう。ので、この方法を参考に、良い影響を与えてくれるような作品の見方を見つけ出してもらえれば嬉しく思えます。